神さまブログ~飛鳥の風~

 子供の頃から神仏とのご縁が深く 各地の神社仏閣を巡っています。 神仏や土地のご供養をさせていただきながら たくさんの智慧とパワーをいただきました。  ご縁のある方に神仏のご加護をお届けできれば幸いです。

カテゴリ: 神さまについてのあれこれ

 
205「鹿島太神宮と要石と大鯰」


 地震を起こす鯰(なまず)を抑えていると云われる要石は
鹿島神宮・香取神宮にそれぞれに祀られています。

 立札には以下のように書かれています。
『その昔、鹿島神宮の武甕槌神・香取神宮の経津主神の二柱の大神は天照大神の大命を受け、芦原の中つ国を平定し、常陸・下総付近に至った。しかしこの地方は地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。
 地震は地中に大きな鯰魚(なまず)が住みつき、荒れさわいでいるせいだと言われていた。
大神たちは地中に深く石棒をさし込み 鯰魚(なまず)の頭尾を押さえ地震を鎮めた。その石棒の先の部分が要石だと伝わっている』

 鹿島神宮の要石は凹形・香取神宮の要石は凸形でそれぞれ地上に出ている部分は僅かですが「深さ幾十尺」とされています。
貞享元年(1664)三月 徳川光圀公が要石を掘らせましたが根元を見ることが出来なかったという伝説が残されています。

 「鹿島神宮の要石は大鯰の頭・香取神宮の要石は尾を押さえている」「ふたつの石は地中で繋がっている」とも言われています。
 いずれにしても二つの石は対で祀られることに意味がありそうです。

 要石が一般に広く知られるようになったのは江戸時代以降のことです。
安政の大地震(1855)で大きな被害を出した江戸の町で地震除けお守りとして「鯰絵」が大流行しました。

 鯰絵に描かれた 鯰の頭を押さえている鹿島明神は建御雷神とも言われていますが私は別の存在をキャッチしました。
「鯰(なまず)」と呼ばれているモノも伝説とは少し違うようです。

ヒントは千代田区にある神田明神と鯰の関係にあります。

 関東地方の大地を守る役割を持つ二つの石は鎮守の森に護られて静かに坐しています。
参拝の折には要石に感謝の祈りを奉げたいものです。


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「鹿島神宮・香取神宮は有名ですけど 僕は刀自古(とじこ)さんを是非 息栖神社(いきすじんじゃ)へお連れしたいです。」
 
 地元では隠れたパワースポットとして有名だという息栖神社へ茨城在住の友人が連れて行ってくれました。

 鹿島神宮・香取神宮の御祭神は武甕槌神・経津主神コンビ…お二人は深い関係にあります。
しかし息栖神社の御祭神は「岐(くなど)の神」と「天之鳥船尊(あまのとりふねのみこと)」・「住吉三神」…武甕槌神さんとは一見関係ないように思えます。

 岐の神さまは外からの疫病などを防ぐ神さまで「塞の神(さいのかみ)」とも呼ばれます。
塞の神は猿田彦神と同じ神さまとも言われています。
天之鳥船は饒速日さんが乗っていた天空を翔ける船ですから海に関係があります。住吉三神も海の神さま…。

 なぜ三社がセットで語られるのか…その秘密は東国三社の地形にあります。
鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の配置は二等辺三角形。
現在の配置はこんな感じです。
kasimaのコピー


 縄文時代は縄文海進と云って海の水位が現在より3m位高かったと云います。
この一帯は香取湾と云う巨大な湾になっていたのです。

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 息栖神社は湾から内部に入る外敵を防ぐ目的でここに祀られていたのでしょう。
万一入口で防げなかった外敵を鹿島神宮・香取神宮で挟み撃ちにして湾内には侵入させない…。
東国三社はこの地を護る役割があり  岐の神は防衛の最先鋒だったと考えられます。

 鹿島神宮に伝わる御船祭りは鹿島の民がシュメールから渡来した名残であるという説もあります。
かつて香取湾を本拠地とした人々は海から渡ってきて 海と密接な関係をもった民族だったのでしょう。

 参拝すると住吉三神が迎えてくれました。
「住吉三神っていうのはオリオンの三連星のことだよ。海では目印になる。」
夜は目印の乏しい海上で星は船の目印になりました。
オリオンの三ツ星は海の航海を護り人々に正しい道を示してきたのでしょう。

言葉通り天空からのエネルギーを色濃く感じる神社です。

 利根川の支流の辺に立てられた三本の鳥居…鳥居の下からは泉が湧きだしています。
「忍潮井(忍塩井)=おしおい」と呼ばれる この井戸は汽水(海水と淡水の混合している水)の中に湧き出す非常に珍しい泉で 伊勢の明星井・伏見の直井とともに日本三霊水に数えられています。

 海からの外敵を防ぐ神社とその航路上を塞ぐ左右の対になった神社…と云うのは伊勢神宮の二見興玉神社・内宮・外宮の配置と実は同じです。
伊勢神宮も東国三社も大和朝廷の安泰を護るための神社とされていることもとても興味深いと思います。


伊勢三社のコピー


 







関東 最大のパワースポット…と言われている(中のひとつ)鹿島神宮・奥社。
 武甕槌神の荒御魂(あらみたま)をお祀りしているお宮です。
 鎮守の森のパワーと相まって鹿島神宮の聖域の中でもたいへんエネルギーが強い場所です。

  荒御魂というのは神の荒ぶる側面を表しています。
 天から降りてきたばかりの神さまは自然そのものですからヒトがコントロールできる存在ではないのです。それをお祀りしてヒトの望みを叶えてくれる存在(…というのも実は違うのですが…)に調整したモノが和御霊(にぎみたま)です。
 調整されていないだけにパワーはめちゃめちゃ強い。
「叶い難い願いは荒御魂に…」と言われるのはこのためです。
でも ご用心。
荒御魂は調整されていない存在です。安易に約束してそれを破ってしまったら…自然は容赦ないですよ。

 もとより神社は「願い事をする場所」ではありません。
古代の人々は…古代には神社はありませんから磐坐や川の流れ・大きな樹を崇拝していました。
古代の人々は聖なる場所へお参りをして「誓約(うけい)」をしました。
訴誓というのは 「もしも自分が正しければ◯◯が起こる。」…と言うような宣言をして吉凶を占うことです。
誓いと占いを合わせたような物だと思ってください。
  この時 占うのは「Aさんと結婚できますか?」と言うような個人的なことではありません。
国家や共同体の存続にとって有益であると思われることが多かったようです。

 現在 神社がお願い事をする場所になってしまっているのには実は仕掛けがあったりするのですが…それは別の機会に。

 …で皆さんが叶い難いけれども叶えたい願いがある場合は荒御魂舎で宣言をしてください。
「◯◯大学を受験します」「Aさんと結婚します」…と言うような感じです。
 そのためにしなくてはいけないこと…実はわかっていますよね?
実行してください。
 やるべき事を全てやって あとは神さまに委ねましょう。
その道が国家や種の存続のために正しい道ならばきっと望みは叶うと思います。

「神さまは前から来るのではないのです。あなたの純粋な想いが通じた時フッと後ろから背中を押してくれる。…それが神さまです。」

吉野の山奥で宮司さんから伺った言葉は神さまの本質にとても近い気がしました。

 
  鹿島神宮はスタートの神社と云われています。「鹿島立ち」という言葉どおり かつて常陸から旅に出るときは鹿島神宮にお参りしてから出発しました。
 スタートのエネルギーを持つと言われるのはこのためです。
  大和朝廷は東国平定のために軍を派遣しますが 茨城地方の抵抗は激しかったようです。
 前進基地を作った後も周囲を茨で囲って守らなければならなかったのでこの名が付いたという説もあります。
  鹿園には神さまの お使いと言われるのは鹿が飼われています。御祭神 武甕槌さんとお相撲を取ったという建御名方神さんをお祀りする諏訪大社では 御頭祭というお祭りで鹿の頭を神さまに捧げます。
まさか意趣返しというわけでもないのでしょうが…。

 このお相撲のお話はかなり怪しい…日本の歴史の闇の部分を暗示しているように思います。
かつて日本の国(=葦原の中つ国)は大国主命が治めていました。
そこに高天ヶ原から天照大神のお孫さんである瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨して言います。
「この国は私たちの国だから統治権を返しなさい。」

 大国主さんにしてみたら「はぁ??」…ですよね。モチロン何の根拠もない話です。
大国主さんは「二人の息子に聞いてくれ。」…といいます。
息子の一人事代主神(ことしろぬしのかみ)は釣り好きな神さまで海で釣りをしていました。
そこに瓊瓊杵軍が行き事の次第を話したところ「あいわかった。」と快諾。
呪いの所作をして海に飛び込んで死んでしまいます。
後に流れ着いた事代主さんが「恵比寿神(えびすしん)」として祀られたと云います。
一部地方では水死体のことを「恵比寿さん」と呼ぶのです。

 もう一人の息子建御名方神(たけみなかたのかみ)は徹底抗戦を宣言します。
「それなら力比べで決めようじゃないか」
さすが神さま平和的な提案ですね。
…で瓊瓊杵軍の中でも力自慢である建御雷神(たけみかづちのかみ:鹿島神宮の神さま)と試合をすることになりました。
 …で「はっけよい!」…と云ったかどうかはわかりませんが組み合います。
そこに登場するのが布津主神(ふつぬしのかみ)。
なんと彼女は物陰に隠れていて試合に乱入。建御名方神の腕を切り落としてしまいます。
…「力比べ」じゃないじゃん(^^ゞ

 命からがら諏訪の地まで逃げ延びた建御名方神は「二度とこの地から出ないから命だけは助けてください。」と命乞いし諏訪のお社に収まることになりました。

 二人の息子を失った大国主命は瓊瓊杵尊に日本の国を譲ることにしました。
そして自らは黄泉の国の王となると宣言します。
その交換条件として出雲に大きなお社を建てて祀ってくれ。…と云います。
出雲大社の社殿が当時の最高権力者である天皇が建立した奈良東大寺の大仏殿より大きいのはそういうわけなのです。

 建御雷神と布津主神はその後もコンビで東北地方の開発に大きく貢献したとされています。

歴史は勝者のものですからこのエピソードに隠された物語がどんなものなのかは読者の皆さんの判断に委ねます。

 いずれにしても建御雷神と布津主神が日本の国のスタートに大きく貢献したことは間違いないようです。

 

  数回にわたって東国三社を特集します。
 
 今回は基礎編です。
資料などを当たれば書いてあることばかりですが それぞれの神社と神さまの由来をザックリと頭に入れておいていただけるとこの先の特集記事を読むのに役立つと思います。


☆鹿島神宮

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◎ご由緒
 和銅6年(713年)成立の『常陸国風土記』にはすでに記録が残っている東国随一の古社です。
古くは朝廷から蝦夷に対する平定神としてまた藤原氏から氏神として崇敬されました。
その神威は中世に武家の世に移って以後も続き歴代の武家政権からは武神として大切にされてきました。
 ほとんどの武術の流派はこの鹿島から発生したという人もいます。

  境内は国の史跡に、本殿・拝殿・楼門など社殿7棟が国の重要文化財に指定されています。

◎ご祭神
 武甕槌尊(たけみかづちのみこと)
建御雷神のコピー


 タケミカヅチ(タケミカヅチオ)は雷神・剣の神また相撲の元祖ともされる神さまです。 
 鯰絵(なまずえ)では要石に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御する存在「鹿島明神」として描かれています。


☆香取神宮
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◎ご由緒
 千葉県北東部、利根川下流右岸の「亀甲山(かめがせやま)」と称される丘陵上に鎮座する神社です。
全国でも有数の古社として知られ古くは朝廷から蝦夷に対する平定神としてまた藤原氏の氏神の一社として崇敬されました。

 
◎ご祭神 
  布都主神(ふつぬしのかみ)
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 経津主神は武甕槌神と関係が深いとされ両神は対で扱われることが多いです。
春日大社では経津主神が建御雷神らとともに祀られています。
香取神宮・鹿島神宮のある常総地方は中臣氏(藤原氏)の本拠地でした。
藤原氏が京都で地位を気づいた後に両社の祭神を奈良へ勧請したためです。
 また鹽竈神社(しおがまじんじゃ)でも経津主神・建御雷神がシオツチノオジとともに祀られています。

 経津主神の正体や神話の中で果たした役割については諸説があります。神名の「フツ」は刀剣で物が断ち切られる様を表し刀剣の威力を神格化した神とする説・「フツ」は「フツフツ」と沸き上がり「フルイ起す」フツであるとする説・神武東征で武甕槌神が神武天皇に与えた布都御魂(ふつのみたま)の剣を神格化したとする説など多種多様です。


☆息栖(いきす)神社
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 ◎ご由緒
 息栖神社(いきすじんじゃ)は、茨城県神栖市息栖にある神社です。
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮とともに東国三社の一社になります。
 
 社伝では、第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたといいます。
その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝えられます。
 元亨元年(1321年)の古文書で「おきすのやしろ」と記されるようにかつては「おきす」と呼ばれていました。
この「おきつせ・おきす = 沖洲」という古称から香取海に浮かぶ沖洲に祀られた神であると考えられている。
祭神が久那戸神(岐神)・天鳥船命であることからも水上交通の神であることが示唆され、鹿島・香取同様に東国開発の一拠点であったという見方もあります。
 
◎ご祭神
◆久那戸神(岐の神:ふなどのかみ)
 日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神さまです。
 岐(ちまた・巷とも書く)または辻(つじ)とは、道路が分岐・交叉する場所を指します。
このような場所は、人だけでなく神も往来する場所と考えられました。
神の中には悪神・悪霊もおり、これらの侵入を防ぐために祀られたのが岐の神です。このことから塞の神(さえのかみ)と呼ばれることもあります。
 『古事記』では黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしています。
『日本書紀』や『古語拾遺』ではサルタヒコと同神としています。
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『日本書紀』では、黄泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から岐神(ふなどのかみ)、来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が化生したとしています。
『古事記』でもイザナギの禊の場面で最初に投げた杖から衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が化生しています。
 中国から伝来した道路の神である道祖神と習合して 道祖神もサルタヒコと同一視されるようになります。

◆天鳥船命(あめのとりふねのみこと)



◆住吉三神(すみよしさんしん:上筒男神・中筒神男・底筒男神)

(江戸時代の文書では、主神を気吹戸主神とする説もあります。)





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