神さまブログ~飛鳥の風~

 子供の頃から神仏とのご縁が深く 各地の神社仏閣を巡っています。 神仏や土地のご供養をさせていただきながら たくさんの智慧とパワーをいただきました。  ご縁のある方に神仏のご加護をお届けできれば幸いです。

カテゴリ: ぷらっと刀自古

 おはようございます刀自古郎女です。

 前回 神田明神さんをご紹介しましたが 本日は境内にある恵比寿さんの拝所をご紹介したいと思います。

 大好きな場所なので特別にピックアップさせていただきました。


 勢いのある波に乗って高々と上昇する金の童(わらべ)。神田明神の恵比寿さまは「少彦名」さん 愛らしいお姿をしています。

 ガガイモの鞘に乗って出雲に流れ着いた小さな神さまは蛾の衣を着ていたと言われています。

 言葉を話せない少彦名さんはたいへんな知識の持ち主。

 大国主さんとともに全国を巡って農業の技術・酒造り・医療などの知識を伝え国造りに励んだと伝えられています。


 恵比寿さんといえば伊弉諾尊・伊耶那美命の息子で 生まれた時に海に流された「蛭子神」や大国主命の息子で国譲りの時に海に隠れた「事代主命」さんが一般的です。

 しかし、いつの頃からか「少彦名」さんを恵比寿さんとしてお祀りするようになったそうです。


 3柱の神さまの共通点は「海に消えた」神さまであること。

 

 一部の地方では毎年 男子が海に潜り「恵比寿神」を持ち帰って一年間祀ると言う風習があるそうです。

 また 漁の途中で「恵比寿神」に出会って船に向かえれば大漁を約束され見て見ぬ振りをすれは海の災いに逢うと言う伝説もあるそうです。

 漁業や航行安全はもちろん商売繁盛の神さまとしてたいへん人気があります。


 関西では恵比寿さんは耳が遠いと言われているため、初恵比寿の日には「えべっさ〜〜〜ん!頼んまっせ〜〜〜!!」と何度も大声で叫ぶそうです。

 鯛を抱えてニコニコ笑顔の恵比寿さんが持つ竿は「一網打尽に利益を攫うのではなく必要な分だけ」と言う意味だそうです。

 なんとも縄文的で素敵だと思うのは私だけでしょうか?

(いずれも諸説あり)


 神田明神の恵比寿さんは少彦名さん。「前に出した手のひらに皆さんの願いをのせて神さまにお届けして 神様からの恵みを皆さまにを届けてくださる」というメッセンジャーのお役目も担っておられます。

 恵比寿さんの元にはたくさんのお魚たちが集まり海の生き物に慕われている様子が見てとれます。

海に沈み波間を漂う恵比寿さん以前は屋外にいらっしゃいましたが文化交流館建設に伴い屋根の下に移動されました。

 恵比寿さんの坐す場所の天井にはぽっかりと丸い穴が穿たれており蒼空がのぞいています。

 一階に神棚をお祀りするとき天井に「天」と書いた紙を貼るのと同じ理由なのかもしれません。

 海の青と響きあってすごく美しいです。


 恵比寿さまがメッセンジャーであるとすると、天井の蒼い空はこの世とあの世をつなぐトンネルなのかもしれません。


 お参りの際は恵比寿さまにお会いして一緒に蒼空を眺めてみてはいかがでしょうか?


感謝 刀自古郎女


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 おはようございます刀自古郎女です。
夏休みが始まって街にはさらに人が増えたように感じる今日この頃。 
今日は神田明神さんのお話を。

 「神田明神下のおかっぴき」といえば銭形平次。江戸っ子では知らぬものはいないと言われる神田明神。
 子供の頃からお馴染みの神社です。

 江戸鎮守・神田明神。
 730年に出雲から関東に入植した出雲族が大貴巳をお祀りしたのが始まりと言われています。
 
 将門の乱の後 将門さまの首が持ち去られ旧社地の近くに祀られました。 
 江戸時代に疫病が流行すると平将門の祟りであるとの噂が立ったため 平将門さまの供養を行い祭神として将門さまをお祀りしました。
 江戸城築城に際し現在の場所に遷座されたそうです。

 JRお茶の水・秋葉原・御徒町からも徒歩圏内ですが 私はお茶の水から歩くのが好きです。
中山道沿いに聳える鳥居から見た景色がとても美しいからです。
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 都内(23区内)の神社は夜に閉門してしまうことが多いのですが夜遅くまでライトアップしていて参拝自由。夜でも美しい社殿をお参りすることができます。
 時代に合わせてどんどん姿を変えていく逞しい姿。江戸の守りとして心強く感じています。
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 いつ伺っても力強い優しさと逞しさで迎えてくださる神田明神さま。
祟り神と言われる将門さまですが礼を尽くしてお参りすれば優しく微笑んでくださいます。

 夏休み江戸に来られる予定のある方は是非お参りして江戸の息吹を感じてくださいませ。

 成田山・新勝寺に将門さまを重複するためのお不動さまがお祀りされているため「成田山を崇敬する人はお参りしてはいけない」と言う伝説もありますので ご参考まで。


 お土産は「神社エール」タイプミスではありません「神社声援」と書いて「神社エール」でございます。神田明神オリジナルドリンク。「明神さまの声援をいただける」飲み物です。
 しっかりとした生姜の味が幸せな美味しいドリンクです。
是非 お土産に!
 秋葉原が近いこともありオタク向けバージョンのパッケージもありますのでお好みで。
中身は同じです。 
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 周辺にはお店がたくさんあるので食べるに困ることはないと思いますが私が好きなのは随神門前の「きやり」さん。
 真っ黒い蕎麦つゆでいただく江戸前のお蕎麦のお店です。
江戸っ子はつゆにお蕎麦をつけません。
 箸にとって先っぽだけちょろっとつけていただくのが粋とされていたそうで…。
「一度でいいから たっぷりつゆをつけた蕎麦を食べてみたかった…ガクッ」…なんて漫談のネタもあるくらいです。
…というのも おじいちゃまの世代までで今はあまり言いませんが お蕎麦のお味がよくわかりますので ちょっとだけ試してみるのも面白いかも?
蕎麦湯もお楽しみください。

 オススメは「銭形平次蕎麦セット」ナントさつまいもの天ぷらに寛永通宝の焼印が!
内容充実❤️天ぷらも とろろも なめこも 鴨も…欲張りお蕎麦のセットです。

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 帰りは秋葉原でオタ活…なんて言うのも楽しいかもしれません。

以上現場からでした!!

感謝 刀自古郎女
 

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  おはようございます刀自古郎女です。
 奈良で気になっていた手ぬぐい屋さんに行きました。
 切りっぱなしの手ぬぐいは軽くて乾きやすく寺社巡りのお供に最適です。
お店の方に「手ぬぐいを使った熱中症対策」 を教えていただきましたのでシェアします。

 手ぬぐいを水で濡らして首に巻きます。
帽子を被るときは水で濡らした手ぬぐいを頭にも巻いて帽子を被ります。

 たったこれだけ。

 この時期は濡れた手ぬぐいを首に巻いてもどんどん乾きます。
生暖かくなってしまったらパタパタ振るとひんやり感が蘇りますし顔を拭くと冷たくてホッとします。

 暑さの中 一日3〜4時間歩き回る旅でしたが手ぬぐいに助けていただきました。

手水で手を洗ってもすぐ拭けます。
すごく暑いときはコンビニで冷えた水を買ってダーッと濡らして凌ぎました。
木綿や絹のマフラーが巡礼のお供でしたがこれからは手ぬぐいもありかも?


 こちらの手ぬぐいは奈良サラシ製で丈夫でサラッとしているのが特徴だそうです。
柄も可愛いのでスカーフ感覚で巻けるものも…。

名付けて「the 田吾作スタイル」!

手ぬぐいの良さ 見直しませんか?


感謝 刀自古郎女 



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 所用で毎週 小田原へ通っています。
小田原の駅前に北条早雲の像が坐します。
馬に跨り頭に松明を結んだ牛を従えた猛々しい姿に心惹かれました。
 子供の頃から箱根に旅行する機会が多くその度に「北条早雲」の名前を聞きました。
所用の後 いつか行きたいと思っていた北条氏の菩提寺 早雲寺へ…。
あいも変わらぬピンポンダッシュの参拝です。
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 小田原の北条氏は鎌倉の執権を治めていた北条氏と区別して「後北条氏」と呼ばれることもあります。
創始者の北条早雲は「下克上」の典型とされています。
 素浪人からのし上がった(近年では「申次衆」だったとする説が有力です)北条早雲。
そのトリッキーな戦術で小田原城を奪取し一国一城の主人の地位を確立します。
 早雲の後を継いだ氏綱は「北条氏(後北条氏)」を称して武蔵国へ領国を拡大。
以後、氏康、氏政、氏直と勢力を伸ばし、5代に渡って繁栄しました。 

 織田信長の死後は氏政の娘を徳川家康に嫁がせるなどして勢力の拡大を図りました。
しかし天正17年(1589年)の秀吉の沼田裁定による沼田城受取後に、猪俣邦憲による真田昌幸の支城・名胡桃城奪取事件が勃発。
惣無事令(許可のない私戦を禁ずる)違反であるとして秀吉との関係は破綻してしまいます。
 天正18年(1590年)秀吉は小田原征伐を開始。
抵抗むなしく周辺の城を次々に墜とされ 氏直は秀吉に降伏します。
「氏直自身が切腹すること」で「将兵の助命」…を条件としていましたが 氏直は家康の婿であったこともあり助命されたと言われています。
一方で氏政・氏照(氏康の三男)は切腹。
氏直は紀伊国高野山へ蟄居…翌年には病死しています。

 戦国時代を駆け抜け…散って言った後北条氏…小田原を訪れるたびに切腹した氏政の心中はいかばかであったか…。
早雲は子孫の最期をどう思ったろう…と気になっていました。
 
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 小田原からタクシーで箱根湯本へ…山道を抜けたら海が大きく広がります。
小田原が海の近くなんだと実感する瞬間です。
  小田原に逗留中 毎日 窓から海を眺めながら「氏直も氏政も この海を見ていたのだろうか」…と考えていました。
  秀吉の包囲網が狭まる小田原城籠城の時 どんな気持ちでこの海を見たのだろう…と…。

 紅葉シーズンで渋滞の列を外れて到着した早雲寺には訪れる人もほどんどありません。
 栄華を誇った北条氏の淋しい墓所…。
寂しくて…でも人がいないのでゆっくりお参りできました。
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 帰りのロマンスカーは一時間半待ち。
久しぶりに箱根湯本の街をブラブラ…。
のんびりしすぎて あっという間にロマンスカーの時間…。
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 旅の終わりはいつもあっけないのでした。


感謝 刀自古郎女

 おはようございます 刀自古郎女です。
台風通過直後の日曜日 以前から気になっていた三嶋大社へお参りしてきました。
台風の影響を鑑みてゴアテックスのブーツ・雨合羽&リュックカバーの完全防備で東京を出発!
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三島は時折雨がパラつくものの快晴…。
 早朝&台風を警戒して人はいないし 空気は洗いたてで清浄。
最高のお参り日和でした。
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 運転手さんとお話ししていて箱根神社が近いことが判明し連れて行っていただきました。
箱根の九頭龍さん…大好きなんです❤️
山道に入ると霧と土砂降り。

 土砂降りの箱根神社も素敵でした!
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 もどり道で山中城に立ち寄ります。
豊臣秀吉の小田原攻めの時の重要防衛戦です。
城といっても盛り土の城で砦としての役割が強い。
200名の手勢を率いて善戦しましたが多勢に無勢で攻め滅ぼされてしまいました。

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 西の丸跡で祈らせていただいて降りてきたら さっきまで蕾だった蓮の花が咲いていました。
「朝から曇りでこの時間に日が射したから…」とわかっていても嬉しい❤️
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 柿田川の湧水地にも連れていっていただいて 三島名物のうなぎを…と思ったらお店が満杯で残念。
駅で『源氏旗あげ弁当』を買っていただきました。
 三嶋大社は源頼朝が崇敬した神社でもあり…このお弁当も必然…だったのかもしれません。
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 今回もたくさんの出会いに恵まれ楽しい旅でありました。
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感謝 刀自古郎女 

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