神さまブログ~飛鳥の風~

 子供の頃から神仏とのご縁が深く 各地の神社仏閣を巡っています。 神仏や土地のご供養をさせていただきながら たくさんの智慧とパワーをいただきました。  ご縁のある方に神仏のご加護をお届けできれば幸いです。

2015年09月

  お待たせしました。
11月の 寶珠 個人セッション IN 東京 の詳細が決定しましたのでお知らせします。

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 カウンセリング .チャネリング.ヒ-リング・除霊・浄霊を統合した独自のセッションです。
過去世からのネガティブな感情や先祖や土地からのネガティブを浄化。
霊感タロットによるカウンセリングとチャネリングしながらクリスタルを使ったヒーリング・過去世からの古いパターンの解放。必要ならば除霊 浄霊も同時に行います。

ありがとうございます。満席となりました。

 

日時

◎2015年11月28日(土)

 11:00~12:00 ご予約済 
 
 12:10~13:10  ご予約済
 
 13:20~14:20 ご予約済 

  14:30~15:30  ご予約済

 15:40~16:40  ご予約済

 16:50~17:50  ご予約済

◎2015年11月29日(日)

 10:20~11:20   ご予約済

  11:30~12:30 ご予約済

 12:40~13:40  ご予約済

 14:30~15:30  ご予約済

 15:40~16:40 ご予約済 

 16:50~17:50  ご予約済 
 

場所:神楽坂
 (予約確定メールに会場の詳細を添付します。)


料金:¥23000/60分

 ※今回は60分のセッションのみとなります。ご了承ください。
 
 ※キャンセルにはキャンセル料が発生しますのでご注意ください。
(詳しくは予約確認メールに記載いたします。)

 ※ 受付後 順次 受付確認メールをサーバーからの自動配信メールとは別に送信します。
  内容をご確認の上 メール到着後一週間以内に参加費をお振込みください。

 振込み確認のメールをもって予約完了とさせていただきます。

 上記注意事項に同意された方のみ こちらからお申し込みください。
 

あいこん


※ご不明の点・ご質問がございましたらコンタクトよりお気軽にお問い合わせください。
(個人的な質問などには返信しかねる場合もございますのでご了承ください。)

 

  竜さんのお店のテーブルの上にゴロゴロと仏像が転がっていました。
不動明王・地蔵菩薩・阿弥陀如来…いずれも15cm前後の小ぶりな仏たちです。

「引っ越しの準備をしていたら行李が出てきた。仕入れたまま忘れてたんやな。」

江戸時代の素朴な作りの仏たちはいつから出番を待っていたのでしょう?

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「あっ!恵比寿さんっ!!」

 変わった恵比寿さん…。小脇に鯛を抱えていなければ恵比寿神とはわからなかったでしょう。
恵比寿神は庶民的な顔で作られることが多いのですが この恵比寿さんは貴族風な目鼻立ちをしています。…かといって素朴な彫りは貴族の物ではないのでしょう…。
 恵比寿さんは小脇に抱えた鯛を 横に倒していることが多いのですが この方が持っている鯛は天に昇る龍の如く上を向いています。衣やお顔の素朴な造りに比べて鯛だけが写実的で身をよじり暴れているようで不思議な印象でした。

「ずいぶん変わってますね。…いい男だわ。」

「安土桃山から江戸初…と云ったところだろうね。」

 室町の仏は戦国の世相をうけて鋭い顔をしています。
毘沙門天・帝釈天など武神が多く彫られているのも特徴のひとつです。鎌倉時代に写実主義は やり尽くして その先何を極めるのか仏師が迷っていた時代のように思えます。
 安土桃山時代には曲がりなりにも世相が安定して 少し穏やかなお顔立ちの仏が増えてきます。
江戸期に入って 商人たちの護りとしての御利益神…大黒天・恵比寿天・弁財天などの仏像が多くなります。
文化的にも余裕が出てきて緻密な細工の物が目立つようになっていきます。
 
「おおーいっ!」

 呼ばれた目線の先に件の恵比寿さんが坐しました。
線香の煙が塊として表面にこびりついていることから 恵比寿さんは長い期間 信仰されていたものに違いありません。
長く愛されたモノには魂が宿ります…恵比寿さんの魂が宿主を探してさ迷い歩いているのかもしれません。

 「一緒に帰りたいの?」

恵比寿神には二つの系統があります。

 一つは事代主(ことしろぬし)・もう一つは蛭子神(ひるこがみ)…。

 事代主は大国主の息子で国譲りの折に逆手を打って(呪詛)海に飛び込み自殺したとされる神さま。その事代主が堺に漂着して、持っていた五色の玉とともに祀られたといいます。

 蛭子神は伊弉諾・ 伊邪那美の子で3歳になっても足が立たなかったため葦の船に乗せて海に流されてしまいます。西宮に漂着した蛭子神が神として祀られたという伝説があります。

 いずれも「海に流され」「漂着した」という点で共通しています。
恵比寿は流浪の神 なのです。


 古代日本では漂着した水死体や漂着物を恵比寿として祀る風習もありました。また鯨や海豚(いるか)を恵比寿とすることもあるそうです。
鹿児島では漁期の前に目隠しをした独身男子が海に潜り最初に手を触れた石を恵比寿として祀る習慣も残されているのだと云います。


 「海よりもたらせしモノ…」 流れ着いた恵比寿は 漁業を護り・福徳を授け・商家を守護します。


 この恵比寿さんは時の流れを旅して我が家に漂着ました。
けれど それは一時のこと…ヒトの一生は短い…。

「大漁の旗・漁の声・海女たちの嬌声 我らはそれではじめて恵比寿になれる…」

 …恵比寿さんに言われてハッとしました。
即身仏になろうと入定した上人も一定期間を置いて掘り出した時 禅定に入った姿でないものは潰されて打ち捨てられるのだそうです。

漂着した水死体は恵比寿として祀られますが 豊漁をもたらさなければ打ち捨てられたのかもしれません。

神になりそこねた神はヒトにも戻れず漂う寂しい魂になってしまうのかもしれません。

 漂着したモノたちは「暫定 恵比寿」…豊漁をもたらし結果を出したモノたちだけが長く恵比寿神として祀られるのです。
祀られなかった恵比寿たちはいったいどこに行くのでしょう?

 大漁をもたらさなくてもそばにいてくれるだけでいい…。
私の部屋には集まってきた仲間もいます。時々は笑って喋ってお線香の香りをかいで たまにはお酒を酌み交わすただそれだけでいい…。

「恵比寿さん たくさん働いたんだから刀自古が生きている間だけでもゆっくりしてってくださいね。」

 様々な義務や重荷を降ろして仏がただ仏として存在できる空間そんな場所を提供できることを心からうれしく思いました。

 

  

 「初めての『霊能者』との出会い」…の続きを書こうと思いつつ他にアップすべき記事が目白押しで…いや…すみません!!言い訳は見苦しいですね。
遅くなりましたが 今回は「霊に対する認識が変化した」お話を…。

 夫のおばあちゃまは 新撰組のメンバーを数多く輩出した東京都下のH市の出身です。
若い頃 満州に渡り 財を築いて煉瓦造りの家に住み 何人もの使用人を使って贅沢な暮らしをしていたそうです。
第二次世界大戦の敗戦の時も真っ先に情報を得て 帰国したのだそうです。
 家庭の事情で夫の母親代わりを務め 働いて家計を支えていた…明治の女性の鑑のような人でした。

 おばあちゃまが亡くなった時 夫の実家には お仏壇があったのですが 家でも祭壇を作ってお線香やお供物をお供えをしていました。
その頃 住んでいたアパートは霊道上にあり不思議なことが多かったのは以前にお話した通りです。
 ある日のことです。
 深夜に目が醒めて ふと見ると窓辺に子供が二人立っています。
7歳くらいの女の子と5歳くらいの男の子…部屋は二階で雨戸が閉まっていますが その内側に立っているのです。
いるはずのない場所に人がいる…理解を超えた現象というのは恐ろしいものです。
怖かったので布団を被って寝てしまいました。
 ところが 次の日も…その次の日も深夜に目が醒めてしまいます。
そして 窓辺には 二人の子供…。
おばあちゃまが亡くなる前後には 窓の外に白いおばあさんが立つなど 不思議なことが多かったので 怖ろしくて家に帰るのが憂鬱になってしまいました。

 夫に相談して霊能者の先生に除霊をしてもらおうということになりました。
「除霊は高いよ」…と言っていましたが いくらかかるか想像もつきません。
夫に付き添ってもらい 用意できるだけの金を握りしめて「S会」へ…。
「お〜〜〜…刀自古郎女さん久しぶりだね」
会長は笑顔で迎えてくれました。
「実は今日は除霊をしていただきたくて来ました」
…事情を説明します。
「ふぅ〜〜〜ん…あのさ 自分で聞きなさいよ」
「はい?」
「今度 会ったらさ 何しに来てるのか聞きなさいよ。できるでしょ?」
「はい…で…き…ます……けど…除霊…してもらえないんですか?」
 恥ずかしい話ですが この頃の私は 幽霊=除霊するもの…と思っていました。
テレビで紹介されるのは怖い幽霊の話ばかり…そういう時代です。
 背後霊を見てメッセージを受けっとたり 自動書記は していたのですが 自分から話しかけるなんて想像もしていませんでした。
「理由 聞いてからでもいいんじゃないの?」
 …怖いから除霊してくれると思ったのに……もう何も言えなくなってしまいました。
「でも こいつは 怖くてしょうがないんですよ。」
夫が助け舟を出してくれました。
「怖い?…なんで怖いの?」
「…何かされるかもしれないし…」
会長は豪快に笑いました。
「あのね。相手は霊なんだから何かしようと思ったらとっくにされてるよ。」
 そう言ってお経や祝詞が印刷された 小さな紙片をくれました。
「これね。延命十句観音経…これを読むといいよ。神さまが来てる時はこっち…祓いの祝詞…あなたは神さまにも会える人だと思うから…。」

 「相手が何かする気ならとっくにされている」…その言葉を聞いて 一気に恐怖心がなくなりました。
 そういえば 落武者も何もしなかった…できなかったのかもしれない。そして 居心地が悪くて出て行ってしまった…。もしかして…生きている私の方が強いってことなんじゃないの?…そう思ったら怖がるなんて無駄な気がしました。
…それに…相手に悪意があれば 先に何かされちゃうんだったら されてから考えればいいや…と開き直ったら腹が座りました。

 その晩 子供たちに聞いてみました。
「なぜ ここに来ているの?」
「おばあちゃんが…おばあちゃんがね…御供えにもらったお菓子を ぼくたちにくれたの」
「いい子は ちゃんと お礼を言ってきなさいって言われてきたの」
「そうだったんだ………」
 おばあちゃまは甘いものが好きだったからと毎日 おまんじゅうやお菓子をお供えしていたのです。
ふたりの子供はお礼に来ただけだったんですね。
怖がっていた自分がマヌケに思えて笑ってしまいました。

 おばあちゃまの満州時代のことを知っている人は ほとんどいなかったのですが納骨の日に来てくれた親類に 子供たちのことを知っている人がいました。
「Kさん(おばあちゃま)は満州で男女二人の子供がいたらしいよ。女の子の方は…名前はわからないけど7歳で亡くなったって。
男の子は Tくんという名前で…Kさん明治の人だから「跡取り」だって たいそう大事にしてたんだそうだよ。
だけど…5歳で亡くなったって…。」
窓に立っていた子供と年齢も性別も一致…。
おばあちゃまは あの世で 子供に会えた…そして 今も一緒にいるんだと思うと嬉しくなりました。

「怖がってごめんね。お菓子 二人の分もあるからいっぱい食べてね。」
それからは 祭壇に 子供たちの分のお菓子とお線香を供えて延命十句観音経を上げるようになりました。

 会長が悪い人だったら…または本当は見えないのに嘘をついている人だったら除霊をしたフリをして子ども達にもイヤな思いをさせたかもしれません。
人の縁に恵まれたことは とてもありがたいことです。
…ところが…この会長さん…この後だんだんに怪しくなっていってしまいます。

そのお話はまた今度…書ける時が あるでしょうか?

 セッションの感想をいただきました。
ご許可いただいたので掲載します。
K.Mさん 30代の男性です。
不安症の改善ということでヒプノセッションをご希望でした。
先に霊視をしたら菊理姫さんが見守っておられたのでお伝えしました。Mさんの子供の頃からのご縁のようです。
 マイナスエネルギーの解消・クラウンディングなど 先に体をクリアリングしてエネルギーを整えてからヒプノ誘導させていただきました。

弁才天のコピー

 セッション前に8割程の情報を送り、ヒプノを受ける前に 色々見ていただきました。

菊理媛(くくりひめ)が見守っていたのにはびっくりしました。 色々な箇所を浄化していただいたお陰で、変化がありました。

1、これまで、両肩の凝りと両首筋の凝りに連鎖して、頭痛などの 体調不良に悩まされていましたが、今は8割以上改善しています。 首凝りと頭痛がないのは助かります。

2、これまで鳥目で夜の悪天候で運転するのがつらかったのですが、   これまで以上に明るく(コントラスト)見えるようになりました。

3、持病の喘息で天候不良のよる体調不良に悩まされていましたが、   呼吸が楽になりました。

4、混雑した電車や混んでいる閉鎖空間での、不安症状も改善しています。

5、事前情報には伝えていなかった(忘れていた)亡くなった母方の叔母   の事が出てきて驚きました。

6、容姿の良い人に対してジェラシーを抱いていましたが、出会っても   強いジェラシーを感じなくなっています。

ヒプノを受けて

 長い廊下(通路)は実家の廊下が現れ、扉を開けると左側は実家のトイレ  が、右側には今所有している車2台と欲しい車2台が屋根のある広い駐車  場にある(架空の場所)イメージでした。  なんだか不思議な感じでした。

翌日は前から計画していた、普段乗っている車のメンテナンスを行っています。 これまで、作業が大変な修理は重い腰を上げつつ、心配をしながらウダウダ しながら作業を行っていましたが、 今回は、そんなに重い腰を上げるという感じではなくウダウダ感もなく作業 を進めています。これはかなりの進歩です。

心配性とネガティブ感が軽減したので、これから運勢が好転することを期待 しながら、日々の生活を悔いなく生きていたいと思います。

7年前、運勢改善の為に金運神社の存在を知り、その中に石川県にある白山 神社が入っていて気になっていましたが、遠いので未だに行ったことがあ りません。きっと菊理媛が自身の存在を感じて欲しかったのかなと思います。 1年以内に石川の白山神社に行って参拝したいなぁと思いました。

また、受けたいので、よろしくお願いします。

(K.Mさん) 

 
素晴らしい感想をありがとうございました。
これからの人生が明るく充実したものになることを確信しています。


 東京での個人セッションは特に日程を設けず随時受け付けています。
(11月29日は個人セッションDayを設定しています。)
 お申し込み・詳細は以下をご確認ください。

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 名古屋は10月3・4日と11月14・15日にエンゼルハウス in Nagoyaさんにて個人セッション日をいただいています。
 11月は まだ多少空きがあるのでこちらからご確認ください。
 
満席となりました。
 

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✴︎ヒプノセッションは60分では収まらないため事前にご相談ください。 
今のところ料金は60分と同じで行っています。 …と小さく書いておきます💦)



 

 牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)…私は今回で3回目の参拝になります。
 被葬者は実権を握った最初の女帝と云われている斉明天皇。乙巳の変の時の皇極天皇です。
牽牛子塚古墳には斉明天皇と娘である間人皇女…そして斉明天皇の孫である建皇子が埋葬されていると云われています。
 建皇子は葛城皇子(天智天皇)と越智娘(おちのいらつめ:蘇我倉山田石川麻呂の娘)の皇子。
越智娘が建の皇子を妊娠中に父である蘇我倉山田石川麻呂が謀反の罪を着せられ自害するという事件がありました。
越智娘は発狂…。その影響か 生まれた時から口がきけなかったと云います。
 斉明天皇は建皇子をかわいがり 建皇子が7歳で亡くなった時 「萬歳千秋の後に、要ず朕が陵に合せ葬れ」と詔を出します。その言葉通り合葬されたと考えられていますが「幼かったため骨が風化してしまい残っていない」そうです。
 牽牛子塚古墳の墳墓の一部をくりぬいて越塚御門古墳が造営されています。被葬者は大田皇女 斉明天皇の孫で持統天皇(鸕野讃良皇女)の姉です。
 …誰が誰か…よくわからなくて混乱しますよね。
平たく言うと斉明天皇と娘と孫2人の3代・4人がこの古墳に埋葬されているのです。(平たすぎ??)
 …なので ひとり ご供養すると次の因縁が出てくる…超ヘビー級の古墳です。

 今回は飛鳥の重要人物である斉明天皇の元に寳珠先生をお連れしたかったのと大田皇女のご供養のために参りました。
 古墳への道はわかりにくく細い道です。

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「これでも 初めて来た時よりは随分整備されました」
「よくこんなとこ一人できたね…」
「変わり者なので…
 
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 石室の中が見える場所に降りて祝詞を奏上します。
寳珠先生の用意されたお酒は金色…。
「今回の ご神事で一番 高級な お酒を御供えしようと思って…  
喜んで下さるといいなぁ …」
 まだ発掘中の古墳ですからお供物はエネルギーのみ置かせていただきました。

 広い石室は真ん中で仕切られており 二つの棺を並べて置いた様子が想像できます。
「供養のお経をあげたら  石室の中に 紫色の柱が立ったんよ」
「私も石室内に紫色の光が満ちたのを見ました」

『敵も味方もない それすらも 同じ時代を  共に必死に生きた という事だ
良く来てくれた
ますますの精進を望む』
 …寳珠先生が受け取られたメッセージはこの原稿のチェックをしていただいた時に初めて知りました。
今回の旅のテーマである「調和」のメッセージ…心に刻みたいと思います。

「すごい威厳 …さすが女帝やわ…」
「『魂の生長のため よりいっそう研鑽せよ
あなた方は そのために多くの経験を積んできました』
…って聞こえました。
『頑張ってるけど まだまだ先は長い』って…
斉明天皇…厳かな やさいしい声でした。」

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 越塚御門古墳で大田皇女のご供養をします。
こちらは足場も悪く気をつけてご神事しました。
大田皇女は鸕野讃良皇女(持統天皇)と共に 大海人皇子(天武天皇)に嫁ぎますが 夫の即位前に亡くなってしまいます。
彼女が亡くなった時 子供である大伯皇女は7歳・大津皇子は5歳であったと伝えられています。
生きていれば鸕野讃良皇女ではなく彼女が大海人皇子の皇后になっていた可能性が高い…。
 二人の子供は叔父である天智天皇(大田皇女の父)に引き取られます。
姉の大伯皇女は初代伊勢の斎宮に任ぜられて伊勢に赴きます。弟の大津皇子は文武に優れた人物で人望も厚かった。
 母の後ろ盾を失った きょうだいが お互いを支え合い必死の思いで生きている健気な姿を想像すると胸が熱くなります。
二人は優秀でいなければ見捨てられることを知っていたのかもしれません。
しかし優秀であるがゆえに 大津皇子は鸕野讃良皇女の同世代の息子・草壁皇子を即位させるための障害となってしまいます。
 大津皇子は父である天武天皇にも可愛がられていたと言います。
天武天皇が崩御されたその年 自らの運命を悟ってか内密に伊勢の姉の元に会いに行ったと言われています。
ふたりは どんな言葉を交わしたのでしょう?
死を悟った弟と弟を守りきることができない姉…切なくて涙が出てきます。
大田皇女は 二人の幼い子供を遺して どんな思いで死んでいったのか…。
一心に祝詞を上げていると「もう 怒りや恨みの気持ちは捨てて このクニのために働く」「調和」…と聞こえて大田皇女が浄化していくのを感じました。

 「あー 良かった。上がりましたね。」
「うん」

 「あっ!蛙!!」
この日は蛙をたくさん見たのですが この蛙は少し違っていました。
「トノサマガエルですね。」さすがカエラーのSさん!…と思ったら「いや…普通わかりますよ💦」とFさん。
寳珠先生もうなづいています。
 …都会育ちの刀自古郎女はおっきい蛙と小さい蛙…くらいしか区別がつきません。ちょっとショック😰
 「トノサマガエルって大王(おおきみ)ですよね。」
「ほんまやわ。今日はカエルをたくさん見たけどトノサマガエルはここだけ…さすが斉明さんやね!」
「お疲れさまでした!!
とりあえずコーラ飲みたいんですけど…」
「刀自古郎女さん!コーラなんて身体に悪いんだから飲んじゃダメって言ってるじゃないですか!」
食の番人 Fさんに怒られてしまいました

 今回の神事で何度も降りてきた「調和」という言葉。
私たちは物事を善悪で判断して 自分の考えに合わないものを「悪」と決めたがります。
 藤原氏は政治を乗っ取り歴史を改竄し事実を隠蔽して呪詛の書き換えを行なった「悪者」という印象を持たれた方も多いとおもいます。
しかし 彼らには彼らなりの「守るべきもの」があり 理想のために手を血に染めていったということも覚えておいていただきたいと思います。
皆 その時代を全力で真剣に生きていた。
私たちも 全力で今を生き 時代を築いていきたいと思います。







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